本はたべもの

〜純文学のこころみ〜

就活小説!

就活小説! ~『格闘する者に〇』/ 『彼岸過迄

 

私の好きな本紹介 今回のテーマは『就活小説!』です。

趣向の違う二冊を選んでみました。どちらも深刻になりすぎず、それでも少し考えさせられる、そんな作品です。

 

一冊目は『格闘する者に〇 』by 三浦しをん

 

格闘する者に○ (新潮文庫)

格闘する者に○ (新潮文庫)

 

 

 直木賞作家 三浦しをんさんのデビュー作。

 漫画が好きなことから、出版社に就職を希望する可南子が主人公。同級生の二木君や砂子と共に、堅苦しく、ときに理不尽な就活に挑みます。

 就活についてまわる「マナー」や「マニュアル」や「ルール」の数々に可南子たちも立ち向かっていくわけですが、とても書き口が鋭く痛快です。

まずは大手出版社、K談社だ。砂子も二木君も出版社を受けるので、これでも私たちはマスコミ試験用の「一般常識」問題集で、たまに研鑽 (けんさん) を積んできた。…中略… 「以下のタレントを、所属する芸能プロダクションに、それぞれ振り分けなさい」とあって、プロダクション名が四つ書いてある。そしてその下に、「ダウンタウン」や「池谷幸雄」や「森脇健児」ら芸能人十二人の名前があるのである。これのどこが「一般常識」なのだ。

…中略…

「マニュアル本」の類いは、砂子が近所の図書館で借りてきた。情報君の話は嘘ではなく、「平服と言われても、無難にリクルートスーツで」と確かに書いてあって笑ってしまった。

「この著者近影を見てよ。むちゃくちゃうさん臭いよね。肩書も横文字のものをはじめ、いくつもあってさ。バブル最盛期に入社して、業界で甘い汁を吸いまくって独立、って感じじゃない」

 砂子は容赦がない。

「こんな薄い男になんだかんだと言われたくないわよ、この不況のとき に。『無難』なんて言って、学生を平均値にならして、『僕の本を読んで会社に受かった人がたくさんいる』って言いたいだけだったのね。こいつの思う壺じゃないのさー」

 

 読んでいて笑ってしまいました。就活では、本音と建て前を使い分けなければならない場面が多いなと感じます。ちなみに可南子の併願は集A社です。

 

 面接に進んだ可南子がK談社内のエレベーターに乗るシーンがあります。

 

 一緒にエレベーターに乗り合わせた女子学生が、たまたま会った友達らしい子と、

「あっ、この雑誌、小さいころずっと読んでたよ」

「私も。なんか嬉しいね」

 と囁きを交わしていた。私も同じ気持だった。K談社の人が、途中の階で降りたり乗ってきたりするたびに、人々が忙しく立ち働いているのが垣間見られた。ふと先ほどの女子学生を見ると、彼女たちはそれを羨望と憧れの入り混じった眼差しで見ていた。私もそういう目をしているのだろうかと思って、おかしくなった。どんなに低い確率だとしても、受かってほしい、受かるんじゃないか、とはかない期待をしてしまう。無理に決まっていると冷静に判断する、ひんやり冷えたゼラチンのような部分の脳が、豆腐のようにおめでたい部分の脳を、笑ったのだ。

  素直な希望とあこがれと、それでも無理かもしれないという考えが入り混じった複雑な気持ち。好きなことを仕事にできたらいいけれど、全員にそれが叶うわけではないというのが現実です。可南子の就活も決して順調にいくわけではありませんが、それでも自分を信じて生きてゆこうと考えるようになります。

 笑えるところや辛辣なところはたくさんありますが、読後には肩の力が抜けるような、快適な幸福感がありました。

 

二冊目は彼岸過迄』by 夏目漱石

 

彼岸過迄 (新潮文庫)

彼岸過迄 (新潮文庫)

 

  (これを就活小説と呼んでいいのか、少し迷いはしましたが…、)

 夏目漱石が大病から生還した後に書かれた連載。ちなみにタイトルは、「元日から始めて、彼岸過ぎまで書く予定だから」とつけられたものです。

 

 大学を出て、社会でどうやって位置を見つけるか?ということを扱っている点で今回のテーマに通じるものがあると思い、選びました。

 

 舞台は明治40年、就活が今の形を取るよりだいぶ前のお話です。

 主人公の田川敬太郎は、大学を卒業したものの働き口がなく、どうにか社会での地位を手に入れようと、『位地の運動』(就職活動?) に取りかかります。

 友人のつてを頼ったり、電車で知らない街に行ってみたりと一生懸命奔走しますが、なかなか成果がない。もともとが浪漫好きな性格なので、奇妙なことや冒険心をくすぐるような出来事のほうに惹かれてしまう。少し引用してみます。

 元来彼が卒業後相当の地位を求めるために、腐心し運動し奔走し、今もなおしつつあるのは、当人の公言するごとく佯 (いつわ) りなき事実ではあるが、いまだに成功の曙光を拝まないといって、さも苦しそうな声を出してみせるうちには、少なくとも五割方の懸値 (かけね) が籠っていた。

…中略… 

まったくの空騒ぎでないにしても、郷党だの朋友だのまたは自分だのに対する虚栄心に煽 (あお) られていることはたしかであった。そんなら学校にいるうちもっと勉強していい成績でも取っておきそうなものだのに、そこが浪漫家だけあって、学課はなるべく怠けよう怠けようと心がけて通して来た結果、すこぶる鮮やかならぬ及第をしてしまったのである。

  就活をしなきゃしなきゃと言いながら、面倒とプライドのせいでどこか余裕をこいている。それなら少しは成績をとっておけばいいのに、大学生は怠けるのがいいんだなんて言って、ぱっとしない成績で卒業してしまった、というような内容です。

 いまでもよく聞くような話。大学生が今も昔も変わらないように思えて微笑ましかったです。

 いまひとつ真剣になっていない敬太郎ですが、一方で社会での位置がないことへの不安感のようなものを描いた箇所もあります。ある宗教家から聞いた出家の経緯を、敬太郎が思い出している場面。

この人はどんな朗らかに透き徹るような空の下に立っても、四方から閉じ込められているような気がして苦しかったのだそうである。樹を見ても家を見ても往来を歩く人間を見ても鮮やかに見えながら、自分だけ硝子張り (がらすばり) の箱の中に入れられて、ほかの物と直に続いていない心持が絶えずして、しまいには窒息するほど苦しくなってくるんだと言う。敬太郎はこの話を聴いて、それは一種の神経病に罹 (かか) っていたのではなかろうかと疑ったなり、今日まで気にもかけずにいた。しかしこの四五日盆槍 (ぼんやり) 屈託しているうちによくよく考えてみると、彼自身が今までに、何一つ突き抜いて痛快だという感じを得たことのないのは、坊主にならない前のこの宗教家の心にどこか似た点があるようである。

 外の世界からへだてられているような、一種の疎外感や閉塞感。

 大学生のうちは好きなことをしていればよかったのに、「自分のもっているもの」と「社会で求められているもの」に差異があることに気づいたときの感覚を描いているように思いました。

 

 この本は『位地の運動』だけの話ではなく、敬太郎がこの後 探偵の仕事を請け負ったり、高等遊民である松本との話が入ったりと、様々な人間模様が描かれます。

 文章も比較的読みやすいのでぜひ!